先日、とある会で5人で話していて子育ての話になった時、ふいにひとりっ子の話になりました。
きっかけは一人の方が
「これはあくまでも自分の意見だけど、今まで色んな人を見てきてやっぱりひとりっ子ってどうかなと思う。だから二人目を持った」
と発言したこと。
誰もが悪気のない発言だと分かっていたと思うけれど、一瞬、場が静まり、ほんのりと気まずい雰囲気とどうコメントしようか悩む空気が流れました。
おそらく、一緒に話をしている5人の内、私も含む2人はひとりっ子であることをあとの2人(もしくは少なくとも1人)は気づいていたのだと思います。
なんとかその場は適当に話を繋げて、特にそこから盛り上がるわけでもなく話は進んでいったのだけど、帰ってからなんとなくぼんやりと心の辺りにひっかかりが残っています。
自分の中でももやもやしているので、あんまりきれいには書けていないですが、今日はちょっとこのトピックについて自分の中に湧きおこる色々を書いてみたいと思います。
当事者が感じているひとりっ子の大変さ
その言葉を聞いて一番に自分の心の中に生まれた反応は「怒り」と「あー、またか」みたいな反応だったと思います。
でも、同時に私の中にも「ひとりっ子ってどうかと思う」と発言された方に共感している部分もあります。
もう少し自分の反応を丁寧に見てみると恐らく私はその発言の「どうかと思う」の部分に
「今まで色んな人を見てきて、やっぱりひとりっ子のパーソナリティ(や能力)はどうかと思う」
という部分と
「今まで色んな人を見てきて、やっぱりひとりっ子は親の介護や年をとった時などに大変なことがたくさんあって、どうかと思う」
という二つのニュアンスを感じています。
もしかしたらのちの話の流れから考えると、発言者の方の意図は後者の方に近かったのかもしれないなとも思っています。
確かにひとりっ子当事者として、その部分は実際に大変だと思う。
親のもの(うちにはそんなにないけれど)はすべて自分のものになるという恵まれた環境と同時に、両親を見るのは自分しかいないというプレッシャーは常にかかります。
その経済的・体力的・精神的負担を分散できる人がいないというのは現実的に考えて結構な負担です。
それに、年を重ねて、一人になったときに支えてくれる人が誰もいないという恐れもやはりあります。
もちろん、関係性によって兄弟姉妹がいたからと言って必ずしも支えてくれるわけでは全くないでしょうが、最初から誰もいないというのはやはり心細いものがある。
これは確かに自分の子供に負わせるものとして、親としてできるなら避けたいという気持ちはわからないではないです。
私も今後親になる身として、その部分を案じはしますし、私の両親もやはりそれは一人娘に負わせているものとして感じているようです。
そして両親がなるべく自分たちの面倒を見るという点では子供負担をかけないよう、元気でいようとしてくれていることは感じます。
そして、多分、今回の発言を聞いて私の心にひっかかったのはこの部分ではないように思うのです。
ひとりっ子のパーソナリティはダメなのかな?
多分、今回の発言に私がややひっかかったし、他のメンバーも少しコメントに困ったように感じた間があったのは、発言者に悪気があったかどうかは別として背後にほんのりと「ひとりっ子ってダメだよね」というひとりっ子のパーソナリティや能力への批判が入っていたのを感じ取っていたからではないかな、と思うのです。
「ひとりっ子だから(わがままだ、泣き虫だ、マイペースだ、コミュニケーション能力がない、協調性がない、テーブルの上にあるものは全部自分のものだと思っている、なんでもすぐに買ってもらっているし、自分が一番だと思っている)」
こういう批判や決めつけは当たり前のように本当によく聞きます。
それを向けて言われるのもすでに30年も生きていれば慣れているけれど、そのたびにやはり私の中には憤りが生まれます。
そして、自分の言っていることがどう人に当たるかも考えず、悪気なくそういうことを言ってしまう人間(時に自分も含む)への諦めや虚しさも感じます。
ひとりっ子当事者の一人として、それらの傾向性が100%自分にないというつもりは正直ないです。
ただ、それがひとりっ子だからと言われると、疑問に思う。
「今まで色んな人を見てきて」、上に言われるようなジャッジは主観に基づいていることが多いし、環境やメンバーによって相対的に変わる評価でもあるし、同じような傾向性を兄弟姉妹がいる人が持っていることもたくさんあると思う。
それに事実として「ひとりっ子だから」なんでもすべて買ってもらえたわけでは決してない。
むしろ、兄弟姉妹のいる裕福な家庭の子が買ってもらっているおもちゃを羨ましく見たこともたくさんあるし、私の家は決して裕福ではなかったので、物だけでなく、学校や習い事だってお金がなくて諦めたことだってたくさんある。
その他のよくされるジャッジにもいちいち反論することはできるし、言いたいことはたくさんあるけれど、大切なのはそこではない気がします。
いとも簡単に「ひとりっ子はこう」と決めつけて、それを「そうでしょ?」と押し付ける。
そしてそういうフィルターをかけて人の行動を見てしまう。
その行為に恐ろしさを感じるし、怒りも感じます。
同じようなフィルターはひとりっ子以外でもたくさんあると思う。
「男だから」「女だから」「日本人だから」「在日だから」「外国人だから」「ハーフだから」「ゲイだから」「既婚だから/未婚だから」「子供がいるから/いないから」「若いから/年だから」などなど。
私自身、当事者でないものもたくさんあるので、自分が100%ジャッジやフィルターをかけて見ていないと言うつもりは全くないし、むしろしていることもあると思う。
でもやっぱり、言われる側の当事者になった時は腹が立つものです。
一つ一つ全部反論して回りたくもなるし、「ちょっとサシで話しませんか?」とまじめな顔でお誘いしたくもなる。(いつかするかもしれない)
そして、当事者として時に辛いのは、ジャッジされる傾向性が100%自分の中にないわけではないこと。
でも、そこだけ大きく切り取られて特徴として見られるのはやはり違うと思うし、「決めつけ」と違う部分もたくさんある。
何よりも、発言している人が自分の発言が誰かに嫌な思いをさせていたり、偏見に満ちていることに恐らく気づいていないことをとても残念に思います。
なんで私はひとりっ子なんだろうか。
それぞれの人に、それぞれの家庭に、その方がひとりっ子になった理由があると思います。
私の場合の状況は、両親のプライバシーも入るので詳しくは書きませんが、2人目以降の子供を持てなかった母親の身体的な理由と、両親の家庭環境の事情がある。
それは彼ら二人の努力ではどうしようもできなかったものだし、もちろん私の努力でもどうしようもなかったものである。
そこにはたくさんの苦しみや悲しさや葛藤があることを私は知っている。
そしてひとりっ子をジャッジする世の中の風潮があるから、我が子が「ひとりっ子だから」と言われないように無用に厳しくしてきた両親の努力も知っている。(裏目に出たと思うけれど)
同時に、ひとりっ子として、子供の頃、兄弟のいる友人やいとこたちと数人で遊んでいて、みんなは兄弟姉妹と一緒に帰るのに、自分はいつも一人で帰らなければいけない寂しさも、悲しさも、「この世界に自分の味方が誰もいない感じ」もよーく知っている。
多分、それは本当に、当事者じゃないとわからない気持ちとわからない事情だと思う。
そういうのって本当に、ここに書ききれないほどたくさんある。
もう少し世の中全体が、物事の背後にある事情や気持ちを理解できるようになってほしいと思う。
そしたらもっと、多くの人が生きやすくなるんじゃないかと思う。
おわりに
正直なところ言って、私の中には今回「ひとりっ子はどうかと思う」発言した人に批判心がある。
いつかご本人と直接そのことを話すかもしれない。
と同時に、必ずしもその方の発言が悪かったわけではなく、その方はその方の経験則や観察したことに基づいて自分の意見を発言されたのだと思うし、それに自分の中にある「ひとりっ子としての傷」が反応したのだとも思っているし、その方がすべてのひとりっ子に対して決めつけを押し付けているわけでもないと思う。
(今回も別に私に当てて言われたわけではない)
それにまぁ、当事者としてこんな複雑な思いをしなければいけないのであれば、やっぱりひとりっ子ってあれだな、と思うところもある。
でもこれを機に、もう一度私も誰かに当てはめている「こういう人ってこうだよね」を見直してみるのはいいかと思う。
そして、自分が自分にとって当然のようにした発言が誰かの傷を触ってしまう可能性があることをもう一度、ちゃんと覚えておこうと思うのです。