アンパンマンに子供とのけんかを仲裁してもらった話

目次

はじめに

久しぶりに内的なプロセスをブログにしたためてみようと思います。
(したためるって「認める」って書くんですね。もうすぐ40年生きるんですが初めて知りました汗)

最後にこのブログを書いたのが2020年。

0歳だった子供も4歳になりました。

最近は口も達者になってきて、お母さんとけんかになることも増えてきました

そんな中でお母さんが今まで学んだことをちょっと駆使してみた話。

「こうしたら解決するよ!」とか「みんなこうしたらいい!」とかいう話ではなくて、ただ「こうしてみたらこうなった」という話ですので、お時間ある方、オチを期待せずゆるりと読んでいってください。

けんかの内容

最近は朝晩と子供と喧嘩になることが多い。

やれお風呂に入らない、食べると言ったのに作ったものを食べない、Ipadばかり見てお母さんのいうことを聞いていないなど…。

些細なことだったり、ちょっと前までは優しく諭したり流していたようなことでもついこちらも腹を立てて雷を落としたり、こんこんと説教をすることが増えてきて「これはなんだか違うなぁ」と思ってきた最近。

今朝も「バナナジュース飲む?」「飲む!」と言って作ったバナナジュースを「味が違う」と一口だけ飲んで飲まれず、かちんとくることに。

「なぜ飲まないのか、お母さんは一生懸命作ったのだ」と言っても「嫌だ、飲みたくない」の一点張り。

いつもならここで

お母さん:「どうして飲まないの?」「これ飲んだら背が高くなれるんだよ」「お母さん、○○ちゃんが飲みたいって言ったから、作ったんだよ」「飲まないならもうお母さんバナナジュースも朝ごはんも作らないよ。自分で作りなさい」

子供:「えーん」「(作らないと言われたら)いーやーだー、のーむー」「○○これ好きじゃないんだもん」「のーまーなーい」「えーん」etc…

の流れになるはずである。

最終的に母が折れて「そうだね、飲みたくなかったんだね」になるか「じゃあ、もういい!飲まなくていい!」とキレて破談になった後にしばらく時間を置いてから母から歩み寄り「飲みたくなかったんだね」「でもお母さんも○○ちゃんに大きくなってもらいたくて一生懸命作ったんだよ」「仲直りできる?」となって「うん」と言ってくれたらハグしておしまいだ。

しかしそこまでには多大な時間がかかるし、母も自分の気持ちのやり場に困る。

仲直りした後子供はけろっとして遊びだすが、母は微妙に納得いかない。

そして、これは永遠(に感じられる)に繰り返されるのである。

最近はなんだかやり場のない気持ちを抱えたまま、「また叱ってしまったな…」と反省し、何か環境的に変えられるところ(お風呂に入りたくなりそうなものを揃える・自分で準備できたらひっくり返せるマグネットボードを用意するなど)を変えたりしていたが、なんだかしっくりこない日が続いていた。

でも、今日は救世主が現れてくれた。

仲裁に入ってくれたアンパンマン

子供は「えーん」となるし、母はなんだかやり場のない気持ちを抱えているし、園にはもうすぐ行かなきゃいけないし、このまま子供も母もご機嫌斜めで何をやってもぶつかる状態で園に行かなきゃかな…と思っていた時、ふと、母のアウェアネスが起動した。

大金と多大な労力と時間をかけて学んできた方法を思い出したのである。



突然「じゃあ、ちょっとアンパンマンに助けてもらおうか」と言い出した母親。

子供も意外な展開に何が起こるのか興味を惹かれたようである。

ぬいぐるみの入ったプールからアンパンマンを発掘した母はアンパンマンにけんかを仲裁するファシリテーターになってもらうべく「びゅーん」とアンパンマンを飛ばしてきた。

ここからは会話の一部始終(一部略)である。



アンパンマン:「こんにちは、○○ちゃん。どうしたの?」

子供:「お母さんとけんかしたんだよ」

アンパンマン:「どうしてけんかしたの?」

子供:「バナナジュースを飲まなかったんだ」

アンパンマン:「どうしてバナナジュースを飲まなかったの?」

子供:「味がしなかったんだよ!」

:(え、味がしなかったの?)

アンパンマン:「ええ、味がしないバナナジュースだったの?それは美味しくなさそうだね」

子供:「おいしくなかったんだよ」

アンパンマン:「お母さん、子供さんはバナナジュースが味がしなかったって言ってますが、お母さんどうですか?」

:「えー、私が飲む限りおいしかったんだけどなぁ…。味がしないのはおいしくないよねぇ..」

アンパンマン:「でも、お母さんは一生懸命作ったんですよね。お母さんも毎日ごはん作ったりするの大変だし、作ったもの食べてもらえないと悲しいですよね」(※なんたって母がアンパンマンをやっているのだから、やや母びいきなアンパンマン)

:「そうなの。一生懸命作ったものを食べてもらえないと悲しいの」

アンパンマン「○○ちゃん、お母さんは一生懸命○○ちゃんにごはん作ってくれていて、食べてもらえないと悲しいらしいんだけど、どう思う?」

子供:「それはわかっているよ」

アンパンマン:「じゃあ、○○ちゃんはどんな朝ごはんだったら食べたかったのかな?」

子供:「○○はクッキーとパンの朝ごはんがよかったんだよ!クッキーとパンが大好きなんだよ!」

アンパンマン:「えぇ!確かにクッキーとパンは美味しいけど、それは大きくなれないし、虫歯になりそうな朝ごはんだね!」

子供:「うーん、じゃあ○○、うどん食べる」

:「じゃあ、うどん作ってあげるよ!」



そうして母はアンパンマンに子供の世話を任せて、急いでうどんを作りにキッチンに走って行ったのでした。

娘はことのほかこのぬいぐるみさんとお話する遊びが気に入ったようで、母がごはんを作る間も他のぬいぐるみを出して会話をさせて遊び始めていた。

そして、その後うどんを食べ、自分で園に行く道具を準備し、お着替えをし、トイレにも行き、歯も磨き、いつもより少し早く園に向かうことができたのだ。

ああ、よかった…(母の声)

アンパンマンに助けてもらった感想

いや、正直、話している内容自体は二人で話していた時とそんなに変ってはいない。

しかし、アンパンマンに介入してもらったことで、いつもとは違う予想していなかったところに落ち着いたのは確かである。

アンパンマンに仲裁に入ってもらってまずびっくりしたのは、子供がさっきまで私に言っていなかった内容をアンパンマンに語りだしたことである。

それまで母には「バナナジュースの味が違った」「好きじゃなかった」というだけだったのだが、アンパンマンに聞かれた途端「バナナジュースは味がしなかった」と言い出した。

「味がしなかった」の意味は母にはよくわからないし、子供にとっては「味が違った」と同じ意味だったかもしれないけれど「味がしないバナナジュース」は確かに美味しくなさそうである。

これには母も「ああ、味がしなくて美味しくないから飲まないのね」と少し納得がいった。

子供も「味がしないバナナジュースは美味しくなさそうだね!」とアンパンマンに共感してもらってなんだか何かが納得したようで「美味しくなかったんだよ!」とはっきりと言っていた。

母と二人で話している時には子供は子供なりに気を遣って「おいしくない」とは言えなかったのだろう。その一言が出てきただけで、少し場は動いたように感じた。

母は母側で、アンパンマンに母が言いたいことを代弁してもらうことで第三者に理解してもらえたように感じて(いや、私なんですけどね汗)少し慰められたし、子供は子供で母にそれをこんこんと説教されるより聴きやすかったようである。

子供から出てきた「(母がごはんを一生懸命作っていて食べてもらえなくて悲しいことを)わかっているよ」の一言は母にとってはとてもありがたい一言だった。

本当ならあと園に行くまで15分しかない時間にうどんを作り始めたくはないはずだが「なんだ、それなら作ってあげるよ!」と言わせるだけの力がその「わかっているよ」にはあった。

きっと「うどんを食べる」という案も、母と子の二人の会話で急に言われたら「はぁ?あと15分しかないのに作れるわけないでしょ!それなら早く言いなさい!」となったはずだし、母の「報われていない気持ち」は増大したはずである。

それを母は気持ちが報われ、子供は食べようと思ったものが食べられ、自分で準備をして行こうという気持ちになれるところまで持っていってくれたのは他でもないアンパンマン(ファシリテーター)の力である。

おわりに

ここ10年くらいプロセスワークというユング系の心理療法の流れを汲む葛藤解決の方法と関わっている。

それを日本で広めている日本プロセスワークセンターというところの基礎コースは修了し、実践コースというプロセスワークを使う人になるコースに5年近く属してもいる。

なので、なんだかんだで今日の母の1番の感想は「いやぁ、プロセスワーク、使えるじゃないか子育てに!やっとここまで日常で使えるようになったぞ!(いや、こんなもの書いていないで卒論書け。)」である。

例えぬいぐるみであっても第三者が入ることの可能性を見ることができた。

そして何よりもこれを重ねることは子供の気持ちを尊重したり、子育てを楽にするだけでなく、私自身が心の中に持っている幼少期の「理解されなかった」「ちゃんと聞いてもらえなかった」「ちゃんと聞かれずに決めつけられて無力感を感じた」を癒すことになるはずである。

それが、子供にとってもこのトラウマの連鎖を作らないことに繋がればよいと思う。

将来的にどうなるか、今のところは分からないけれど。

この数年、色んな場面で「プロセスワーク」と言う言葉を口にすることがあったが、言うほどに自分が使えておらず、社会の中で葛藤を抱えていたり、パートナーシップや子育てでももう少しちゃんと使えるのではないか、と思う場面が多かった。

仕事を辞めて4ヵ月。

やっと少し心の余裕も出てきたし、心身ともに随分と自分らしさを回復しているように感じている。

5-6年前に自分がストップさせていたプロセスに立ち返ることも増えてきた。

いや、ここからである。

学んできたことをリアルな生活に落とし込み、次のプロセスが立ち上がっていくのを感じられたよい朝だった。

いや、でも本当に、こんなこと書いていないで卒論仕上げましょう(苦笑)

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