先週で妊娠5か月になりました。
結婚して丸10年。
もうないかと思っていた機会だったので、恵まれた幸運を味わいつつ、色々と心身に起こる変化を観察して楽しんでいます。
今回はいくつかその辺りのことを書いてみたいと思います。
妊娠初期から今まで感じる身体の変化
お腹も4か月くらいから目に見えて大きくなり始めました。
妊娠初期に一度、お腹がぽこっと出たことがあり、「もう!?」と驚きましたが、どうやらそういうこともあるようで、一度あまり気にならなくなり、4か月過ぎて明らかに大きくなっています。
でも今まではいていたデニムが履けなくなったのはもうずっと前(妊娠初期)です。こちらはもしかしたら気持ち的な面もあるのかもしれません。
助産師さんにあきれられるくらい(?)全然つわりがなく、ほぼほぼ妊娠初期に苦しまなかった私ですが、14週くらいから少しずつ立ち仕事がきつくなってきています。
まず長時間立っているとお腹が必ず張ってくる。
この「お腹が張る」は、多分経験がないと便秘などの「お腹が張る」をイメージされそうなのですが、内側からお腹がふくれてくるくる感じで、「やばい、やばい、これはそろそろ安静にしないと恐らくまずいぜ」と本能的に感じます。
それから、とにかく動きが鈍い。
身体が重たいと感じているわけではあんまりないのですが、なんとなく動きにくい。俊敏な動きをする気になれない。
そしてしゃがんでも、前屈しても、床に座ってPCしようとしても、椅子に座ってPCしようとしても、お腹がつっかえる。
しゃがむ度に「よいしょっ」と一大決心がいりますし、立っていても座っていてもなかなか姿勢が定まりません。
ヨガのクラスで前屈がだんだんできなくなっているのは、言うまでもないでしょう。
あと、みなさん当たり前のこととしてご存知かもしれませんが、改めてお願いしたい。
妊婦さんが棚の上から重たいものを下ろそうとしていたらぜひ手伝ってあげてください。
重い荷物を持ち上げるのを気遣ってくれる方は多く、それも本当にありがたいのですが、意外と上からものを下ろす作業はお腹に、特に下腹に堪えます。
やむを得ずその作業をした途端、お腹が張り始めて「やばいやばい」「しんどいしんどい」と何度もなっています。
でも職場ってなかなかそれを言えないんですよね。
妊娠初期から今まで感じた気持ちの変化
それから、気持ちの面でも変化を感じています。
妊娠初期に初めに気づいたのは、自分の警戒心がすごく強くなっていることでした。
道ですれ違う人が持っている傘を無意識に警戒して、万が一襲われた時にどうやって身を守るかを脳が勝手に考えているのに気付いた時にはかなり驚きました。
それまでは普通に歩いていた近くの歓楽街が急に危険な場所に感じられてほとんど足を踏み入れなくなりました。
工事現場のガードマンさんがうっかりしていて、道路をあまり見ずに、車が来ている道路を渡るように「どうぞ~」と示された時の自分の腹立ち具合と言ったら、なんというか。
あやうく、そちらの建設会社にクレームの電話をかけるところでした。
職場の男の子にそれらの出来事を話したら「妊娠中の熊と一緒ですね」と言われたのですが、まさにほんとにそう。
本能的に殺気立っています。
自分は動物なんだな、と改めて感じます。
ホルモンバランスによって情緒不安定になるというお話もよく聞きますが、こちらはそんなに感じていません。
こちらも14週頃に2日程度、やや何もする気が起きない、うつっぽい状態になりましたが、自分が現在再び歩き始めている心の深くに入ってそこにある傷を癒していくプロセスを考えると、必ずしも妊娠していることが原因とも言えないように思います。
少々のうつっぽさの扱いは手慣れたもんなので、そんなにそこには焦らず、少しゆっくり休んだら回復しました。
そんな感じで、日々様々な変化がありますが、今まで鍛えた(?)自己観察精神と自分を楽しむ技術で、基本的には楽しく、特に大きな問題もなく過ごしています。
でも、なんだかんだ言って、思った以上に妊婦さんって大変ですね(苦笑)
正直今まで経験がなかったので、10年の間周りでたくさんの友人たちが妊娠・出産を経験していますが、その大変さに対して、表面上は「大変だろうね」「大変そうだね」と共感しても身と心を持って共感したことはなかったのだな、と改めて感じています。
これからこれを感じることは日増しに増えるのではないかと思います。
思春期にやりたかったこと
自分がはじめて、自分の中で起きていることをあるがままに観察することだったり慈しみを持って接することを学んだとき、一番残念だったと感じたのは、身体の変化が著しい、思春期の時代にそれができなかったことでした。
その視点を持ってその時期を過ごしていれば、あんなに苦しまなかったのではないかと思ったのです。
今回、妊娠中という自分ではコントロールできない心身の変化を再び体験する時期に、そのような自己観察の視点や起きていることに焦らず、楽しめる視点をもっていることはとても幸運なことなのかもしれません。