出産して40日が経ちました。
初めての出産はなかなかのヘヴィな体験でしたが、なんとか子供も無事生まれ、1か月検診も終え、ぷくぷくと順調に育っていて、私自身も少しずつ日常に戻りつつあります。
出産のレポートを、と色々な方に言っていただいていたのですが、PCを見ると頭がくらくらしてなかなか書けずにいました。
今回、自宅出産を予定していたのですが、最終的に予定日を12日遅れて救急搬送されて病院で出産というなかなか貴重な体験をさせてもらいました。
時系列で書いても長いだけで読みにくいでしょうし、詳細に書くとちょっと差し支えるところもあるので、今回の出産で得た気づきだけ、箇条書き+1のような形で書いておきたいと思います。
出産~産後すぐの記録と気づき
・当たり前だけど出産はなかなか身体にダメージの大きい体験だった。
・陣痛がなかなかあがらなかったのと、最初の頃に1つ判断ミスがあって、三晩ほぼ寝てない状態で病院に運ばれてさらに促進剤→分娩と言う流れになった。
なので分娩を終えた時にはもう心身ともに疲れ果てていて、というかぼろぼろの抜け殻で、分娩室に入ってきた主人に言った最初の一言は
「ごめん、私これ2回は無理だわ」だった。
(しかし、のど元過ぎれば熱さを忘れるものなので、2回目がないとは今は言わない)
・過去の経験から病院やそこでの扱われ方があまり好きではないので自宅出産を望んでいたけれど、(もちろんそれだけの理由ではないのですが)結局病院にすごく救われたと思う。
病院のスタッフの方にかけていただいた言葉やサポートや気遣いにも救われたと思ったものもとても多かった。
・中にはもちろん私が病院を苦手だと思う言動(こちらを尊重しない、スペースを与えない、ちゃんと全体を見たり聞いたりせず勝手に決められるなど)をするスタッフの方も少数おられたけれど、本当にごく少数で、ほとんどの方は素晴らしいプロフェッショナルだった。
それにこういうのは病院に限らずどこにでもあることだと最近は学習したのであまり気にしないことにした。
(そもそもプロセスワーク的に言えば私の2次プロセスだろうし)
・子供がNICUに入ったことで、NICUというところを大人として見れてよかった。
・私も生まれた時は帝王切開→NICU(しかも結構遠くの別病院)組なので、いつも
「自分は帝王切開で生まれて、すぐ母親から離されて別の病院に運ばれて、無機質な保育器に入れられて2週間も過ごしていて、その間一度も母に抱きかかえられることもなくて、だから私はいつも自分の所在がないというか、自分の存在に不安感があるのだ」と思っていたけれど、そんなことはないなと思った。
・NICUはたくさんのプロフェッショナルが交代交代に人類の知恵の詰まったたくさんの機械を駆使して絶対的な安全を確保しながら丁重にケアをしてくれるかなり恵まれた場所だった。
慣れない、それも片方はぼろぼろに疲れた新米父母だけでケアをされるより最初は全然恵まれているのでは、と思うほどだった。
(今回はNICUにいる間も抱っこや授乳をさせてもらったし)
・なので、全体的にはとてもありがたかった。
病院に対する見方も変わり、以前よりも広い視点を持つことができたし、(かといって全部を受け入れるわけではないけれど)広い視点で見れば、自分は生まれた時からこの世界にとても守られていたのだ、ということにも気づくことができて、結果的に自分に必要なことが起きた、という感じだった。
・きっと自宅で産んでいたら私は促進剤を使った人の事情やそこで体験する痛みにも全然共感できなかったと思うし、言葉にしなくても内心では
「病院で産むからよ。私は自宅で産んだからそんな思いせずにすんだわ」
みたいなちょっと見下した気持ちを持ってしまっていたかもしれない。
(注:自宅出産の人みんながこう思うわけでは決してない。あくまでも私の場合)
・促進剤の痛みは半端じゃなくて、できれば二度と体験したくないけれど、過ぎた今になってみれば、体験しないよりした方が一つ知っていることが増えて豊かでよかったかな、とすら思う。
でもまあ、二度とごめんだわ。
・結果として病院と自宅出産(のほとんどの過程)の両方の体験ができて、全体性を体験したがる私らしい出産だったと思う。
・帝王切開になるのは罪悪感があるからだとか(いや、私今回帝王切開じゃないんですけど)子宮口が開かなかったのは母親に認めてもらいたいからだとか、色々言う人に出会ったけれど、(こういう考え方がないとは言わないし、内的に探求する時には自ら積極的に採用するときもあるけれど)基本的には今回は本人がこれでよかったと思っているし、必要なことが起きたなと心底思えているし、結構というかかなり満足した出産だったので特に問題ないのではないかと思う。
何よりも、子供が無事だし。
・ただ次回があるならば、もっと別の意図を持っておこうと思う。
出産直前に受けてよかったもの
・陣痛が来る前に受けたプロセスワークのセッションがとてもよかった。
予定日から出産までのとても不思議な「はざま」の時間にいること、そして、それを大切にすることを思い出すことができたし、自分がとても手放し難かった「一体感」をしっかりと自分側にも子供側にもなりながら体験することができてとてもよかった。
・こういう微細・繊細で深みのあるところを扱ってもらえるところはあんまり他にはないので、すごく自分のニーズに合っていた。
改めてプロセスワーク(というか、そのセラピストさん)がすごいなと思った。
(ちなみに現在は女性セラピストさんにセッションをお願いしています)
・当たり前だけど自分はまだまだこんなに深みのあるセッションをできていなくて、ここでプロセスワークを諦めたらもったいないな、と改めて思った。
・お産が進まなくなってから
「頭がいいから、細かいところに気づくからお産が上手くいかない」
と言われることが多かったので、だんだんと自信を無くしていたけれど
(頭がいいというのは多分、頭で考えるから、という意味なのでしょう。
私、本当はかなり大雑把な感覚タイプなのですが、言葉の使い方とか振る舞いからよくこう言われるんですよね。)
むしろこのプロセスワークのセラピストさんくらい頭がよくて(こちらは本当に頭もよい)、繊細なところまで気づけるようになりたいと思えてよかった。
念のため、ヨガが役立ったこと
・病院に運ばれて、いきみ逃しの必要が出た時に、促進剤を使っているので痛みがきつくなるともちろん絶叫で呼吸なんて言ってられなくなるのだけど、看護師さんに指示されるとすぐに反応して言われたように整えられていたようで、あとでかなり主人にも看護師さんにもほめられた。
・同じく、促進剤を使っている最中の座り方も独特だったようでこちらはほめられたというか、妙に看護師さんに納得されていた。
・逆に常に結構冷静なので、痛みがあがらなくて困った。
・これはヨガではないけれど、群発頭痛の経験が長いだけに、痛みを流したり、発散させたりするのは結構得意なのだけど、流さず、発散させず、あげろと言われるとなかなか困った。
・そして分娩時にいきむ時、息を止めろと言われるのだけど、息を吐いたり力を抜くことに慣れすぎていて、最初はなかなか止めるのに慣れなかった。
・よくクリパルヨガのBRFWA(呼吸して、リラックスして、感じて、観察して、委ねる)が出産に役立つと聞いていたけれど、「役立ったー!」という感じはまったくなかった。
(本当は職業柄「むちゃくちゃ役立ちました!」と書きたい)
でも、多分、自分があまりに当たり前にやっているだけで、最初に書いた主人にも看護師さんにもほめられた部分は多分これなんだと思う。
・どんな状況でも自分で自分にスペースを与えられること、そしてどこは状況に委ね、どこは自分の意志を通すのか、通せなかった時にどう自分をケアするのかなどの判断を意識的にできるのは、クリパルヨガの練習のたまものだけれど、これは言うまでもなく、とても役立った。
最後に
というわけで、全体的に非常に私らしいお産だったなと思います。
どう考えても、こうしかなりようがなかったな、と思う。
そして、病院で産んだことで、自分以外の産後直後のお母さんたちの姿を見れたのもとてもよい機会でした。
みんな本当にぼろぼろになって出産しているんだな、と。
母親って時にとても難しい存在だと思うので、「生んでくれた母親に感謝しましょう!」みたいなことは自分が母になった今でも決して言いたくないし、言うつもりもないけれど。
(注:実際に母親に感謝していないわけではない。)
自分がここに生きている限りは、誰かがあの痛みを経験して、そして身体をぼろぼろにして、生みだしたのだということを知っておくのは悪くない気がします。
少なくとも、私は見てよかったと思う。
そして、みなさん、産後の女性にはぜひ優しくしてあげてください。
まじで、本当に、みんな、骨盤ぐらぐらの、身体ぼろぼろだから!
産後も色々なことのある毎日ですが、先に経験されたみなさんに「一番かわいいのは今だから!」「永遠に続く気がするけれど、そのかわいい時期は一瞬だから!」とよく言っていただくので、日々、一瞬一瞬を大切にしながらやっていきたいと思います。
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